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慌ててお勉強。

こんにちは。

basse de viole を担当する田中孝子です。

今回、フランス・ルネサンス音楽をヴィオール・コンソートを通じて演奏することができ、

この上ない喜びを感じています。

フランス・ルネサンス音楽について私はあまり知識がなかったので、これを機に色々勉強してみました。

以下、『フランス音楽史』(今谷和徳・井上さつき共著)を参考にして作成したノートを掲載します。

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ルイ12世(1462-1515)~フランソワ1世(1494-1547)時代の音楽

今回の演奏会で登場する作曲家の多くは、ルネサンス時代の最も優れた作曲家の一人、ジョスカン・デ・プレJosquin Des Prez(1450/55頃~1521)の音楽を模範としています。

ルイ12世とフランソワ1世の時代に、ジョスカンの弟子リシャフォールRichafort(1480頃?-1547頃?)やパリジャンのクロダン・ド・セルミジ Claudin de Sermisy (1490-1562)は、王室礼拝堂(王室シャペル)に聖歌隊の歌手として仕えていました。とくにセルミジは当時の規範となっていたジョスカンのスタイルから離れ、新しく自由な形のシャンソンを書きました。

セルミジの友人であったピエール・セルトンPierre Certon (?-1572)やピエール・サンドラン Pierre Sandrin (1490頃-1561)も、歌詞の内容を音楽に巧みに反映させるような多数のシャンソンを残しています。ところかわって、南フランスで活動していたシャンソン作曲家クレマン・ジャヌカン Clément Janequin(1480頃-1558)も、この流行の影響を受けてその作風をジョスカン風からセルミジ風へと変えていきました。おびただしい数のシャンソンを書いたセルトン、サンドラン、ジャヌカンは、当時名誉ある職とされていた 「王室シャペル作曲家」の称号を得た作曲家となりました。

1515年に即位したフランソワ1世は、王家の音楽組織を改新した音楽家にとっては大変有難い存在の国王です。彼はポストの拡大という現代ではありえない組織改変を行いました。それによってこれまでの「王室シャペル」に加え、王宮内での演奏会や日常的な楽しみ、舞踏会のために演奏をする「王室シャンブル」、さらに野外での音楽を担当する「王室エキュリ」という組織を確立したのです。

フランソワ1世の時代に起こった画期的な出来事はこれだけではありません。印刷出版業者ピエール・アテニャン Pierre Ataignant(1494頃-1551/52)が活版印刷による楽譜の出版を開始しました。出版された曲集の大部分はシャンソン集で、そこに収められたセルミジ、ジャヌカン、セルトンらのシャンソンは、この新しいメディアのおかげでフランス中に広まりました。曲集の中には器楽合奏曲も含まれていたそうです。

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いかがでしたか?

実は私の実家は印刷業者で、幼い頃はまだ活版印刷でした。工場の倉庫の中にはすごーい量の「活字」(子供の頃はハンコと呼んでいました)があって、黒く汚れた作業服を着た優しいおじさん達がいて、私はそこをウロチョロしていた記憶があります。ハンコを勝手に触ったり取ったりしてよく叱られていました。インクの臭いに懐かしさを感じます。

次回は、ヴィオールについて何か書けたらいいなぁと思います。 これがまた難しい。


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